おうしおのこと

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王子保の歴史

 王子保地区は、越前市の南部に位置し、東は雛が岳や越前富士とも呼ばれる日野山、西は日本海を望む山並みに囲まれ、南部山地より流れ込む日野川が南北に縦断する。日野川は万葉集では叔羅川の名で詠まれる。  本地区は、古代から都と北陸を結ぶ交通の要衝であった。古代には、河野や敦賀の海と武生の国府を最短コースで結び、塩を運んだといわれる「塩の道」があった。地区中央部を通る「北陸道」は、京の都と越前・越中・越後をつなぐ街道で多くの人馬が行きかった。明治に入ると地区西部の山並みに国道が開設され、その後ルートを変え国道8号になった。こうした主要道路が通っていたため、様々な人が往来した足跡や当時の文化が地区の歴史に刻まれている。
  1815年の『越前国名蹟考』には「往古は王子保、元暦2年(1185年)より大塩保と号す」と記される。鎌倉時代の史料にも「大塩保」や「大塩村」とある。江戸時代には、金森領(白崎)、小浜領(塚原)、西尾領(春日野)、福井領(その他9集落)に分割統治された。明治22年の町村制の実施により王子保村が誕生、昭和29年に武生市に編入し王子保地区となる。以来、幹線道路やJR王子保駅等により交通の利便が良いことから、工業団地や住宅団地も造成され、住みよく美しい田園都市として発展してきた。
 人口5,722人で、王子保小学校、武生第六中学校(元王子保中学校)を有する。世帯数2,153世帯。(令和4年1月1日現在)

王子保地区マップ

王子保の宝

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